「母が、君やお兄ちゃんに
教えてあげられることなんて、
本当に小指の先ほどもないのです
だから君も、
自分の足で歩いて、
『母の知らないところ』で
『母の知らないたくさんの人』に
出会って、
少しの失敗を繰り返しながら
自分の目と心で学んで欲しいと
母は願ってます

ある日の夜。
引込み思案で、
新しいことに踏み込むのことに
どこか尻込みしがちな、
愛する次男次郎ちんの髪を
そっと撫でて、
わたしは言いました。

「母者!
今度、電車に乗って
探険してくる!」
わくわくが伝わってくる
次郎ちんの声と表情の温度に、
わたしは思わず目を細めて、
「ほおお。
『探険』ですか。
良い響きですね。
……で、どちらへ?」
アイロンを片手に訊いてみました。
次郎ちんもまた、
「息子の冒険を何より好む母」の
体温を感じ取ったのか、
より一層の笑顔で
言葉を返して参りました。
「梅田に行くねん!」
…………えええええ?
「そっかあ!
次郎ちん、梅田なんて都会、
初めてじゃない?」
梅田!?梅田!?
よりによって梅田!?
ミナミじゃダメなの!?
ミナミは良いよ?
北と南さえ分かってたら、
我々のような
日常を不便な町で暮らす民でも、
迷子になりにくいし!
わたしとしては、
心の叫びを洩らす訳にも行かず。
気を詰めないと
火傷しそうなアイロンに
軽く見開いた目を移して、
制服のカッターシャツの襟を
ぐっと押さえました。
「なあ、母者?
梅田ってさ、
どう行ったらええんやろ?」
今にも鼻唄でも歌い出しそうな
次郎ちん。
「え?あ……。
み……御堂筋線か、
JRの環状線で大阪駅まで行くか、
どっちかかな?」
「東梅田」なんて駅は、
知らなくて良い!
いつもなら、
しゅっしゅと
手早くかけられるアイロンなのに
「んん?んん?」
どうにもこうにも
変なとこに皺が出来て、
四苦八苦しましたね。

数日後。
「ヨド○シカメラ、
でかすぎ(笑)!」
「おっきなビルばっかし
見上げてたら、
首がだるくなった(笑)!」
「都会って凄いな(笑)!」
わたしが出勤しない日曜に
「探険」して帰宅した次郎ちんの
お土産話。
ちょっぴり成長した息子に対して
少なからず喜びはあって、
「そっかぁ
「そうですね
そう言って
うんうんと頷きながらも、
「また行きたい!」って
言わないでぇぇぇぇ!
「梅田は何か、好きじゃない」って
言ってぇぇぇぇ!
成長して!
でも、梅田に行かないで!
混じり合わない2つの願い。
ぐるぐるぐるぐると
目の前のコーヒーを
スプーンでかき混ぜた、
さえなのでした。